今、子供の夢は何かときくと「ユーチューバー」がランクインされるという。
それ自体は何ら不思議ではないと思う。
アイドルの現代版なだけだ。
ユーチューバー = アイドル = 憧れ = 一時的
これは古くから続く構図である。
また、憧れはアイドルのような遠い存在もあれば、身近な憧れの存在もある。
例えば、私が小学生の頃、サッカーチームのコーチに憧れの存在がいた。
サッカーもうまく、とても熱心で信頼できるコーチだった。
憧れは一時的なもので、年齢を重ねるとともに変わっていく。
サッカーのコーチ、高校の先生、大学の先生、上司、経営者仲間。。。
でも、親は憧れの対象にはならない。
理由は、生活空間が一緒のため良いとこも悪いとこも見れるからだと思う。
憧れの存在は良いとこしかみない。いわば、FB。
その事にがっかりする必要はないと思う。
なぜか。
親は、憧れの対象にはならないけど、尊敬される。
どんなときも常に子供の事を考え、行動できる親。
雨の日は迎えにいき、熱がでれば看病する。宿題手伝うものの最後は親がやり、弁当作って送り出し。
自分の仕事がたまるが、顔にはださず。
それほど生活空間=同じ空間・環境を共に過ごす事で、身に染みて感じるものなのだ。
実家を出るまで少なくとも15年以上。この時間は何にも代えられない贅沢なもの。
憧れなくてもそれでいい。
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5代目製本業経営者。体を動かす事が趣味でジムに週5回通ってます。
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