日本の人口統計学の歴史 ― 江戸時代までの人口調査

人口統計学とは、人々の数の変化やその歴史的推移を明らかにする学問です。
近代的な国勢調査が始まる以前の社会、つまり中世から近世にかけての人口動向も研究対象になります。

研究者の推定によれば、日本の人口は8世紀には約450~650万人ほどで、1000万人を超えたのは中世後期、早くても15世紀以降と考えられています。
そして江戸時代前半の17世紀に人口が急増し、18世紀から19世紀にかけては約3000万人前後で安定していたとされています。

全国規模で人口を把握しようとした最初の試みは、豊臣秀吉による「人掃令(ひとばらいれい)」でした。
天正19年(1591年)あるいは文禄元年(1592年)に出されたこの命令は、朝鮮出兵に必要な兵力動員のために行われたといわれています。

江戸時代に入ると「宗門人別改帳」という制度が整い、各村ごとの人口が把握されるようになりました。
これはキリシタン禁制の監視を目的に、寺ごとに住民を登録させたもので、全国的な人口調査とは言えませんでした。
その後、全国規模での人口調査が本格化したのは徳川吉宗の時代です。
享保6年(1721年)に全国調査が始まり、享保11年(1726年)以降は6年ごとに実施されました。
これにより、日本の人口のおおよその姿が明らかになったのです。

ただし、この調査には多くの問題がありました。
除外人口の存在:無籍者、武士、公家、皇族などは最初から対象外。
方法の不統一:各藩が独自の基準で調査したため、乳幼児や被差別階級の扱いがまちまちでした。
例えば紀州藩では数え8歳未満を、加賀藩では数え15歳未満を除外していました。
意図的な操作:藩の都合により過少申告や過大申告が行われたケースも多く、実際の人口より400~500万人少なく報告されていたと推定されています。

これらの調査の誤差を考慮しつつも、現代の研究者の推定では、江戸時代中期から後期を通じて日本の人口は約3000万人前後で安定していたとされています。