戦後戸籍の変化 ― GHQの意向と「核家族化」の影響

私たちが普段目にする戸籍は「夫婦と未婚の子ども」という単位で作られています。これはごく当たり前の形のように思えますが、実は戦後の制度改正の中で作られた、比較的新しい仕組みです。そこにはGHQの意向と家制度廃止が深く関わっていました。

GHQと「三代戸籍禁止」

第2次世界大戦後、日本の家族制度は大きな転換期を迎えました。
1947年の民法改正によって家制度は廃止され、それに合わせて戸籍法も改正されました。
その際に導入されたのが**「三代戸籍禁止の原則」**です。

戦前の戸籍には、祖父母や兄弟、その配偶者や子どもまでが一つに記載され、広い意味での「家族」がまとまっていました。
しかし、GHQは家制度を軍国主義の温床と見なし、三世代にわたる戸籍を認めませんでした。
代わりに、アメリカ的な核家族単位であれば問題ないと判断したのです。

その結果、現在のような「夫婦と子ども」という核家族を単位とした戸籍が誕生しました。
ある意味で、戦後の戸籍は**「アメリカ化」された家族制度**の象徴といえます。

高齢者の不安と戸籍への違和感
この変化に対して、高齢者からは少なからぬ不満も寄せられました。
「子どもが結婚して次々と戸籍を分けてしまい、自分ひとりになってしまうのがさびしい」という声が多かったと記録されています。
法学者・中川善之助も「新戸籍が編成されると、それだけで親子は別れたと思ってしまう」と述べています。

これは現代における「夫婦別姓」と家族の絆をめぐる議論にも通じる問題です。
当時の日本政府は「孝」という道徳的な観点よりも、GHQの意向を優先せざるを得ませんでした。

なぜ「個人カード化」されなかったのか?
家制度を廃止するなら、戸籍も廃止して**個人単位の登録(個人カード制)**に移行するのが自然な流れでした。実際に議論もされましたが、以下の理由から実現には至りませんでした。

 大量の用紙が必要になる
 保管スペースの問題
 個人と個人の情報を結合する事務作業が煩雑

こうした事情から「便宜上、夫婦とその子どもぐらいはまとめて記録しておこう」という中途半端な形に落ち着いたのです。
法学者・我妻栄の「個人というものしかない。ただ便宜のために夫婦と子を同じところに書いておく」という言葉が、その妥協の象徴です。

戸籍が失った「世代間のつながり」
戦後の核家族的な戸籍制度では、世代間の連続性が見えなくなりました。
江戸時代の宗門人別改帳や戦前の戸籍と比べると、あえて世代間の絆を断ち切ったようにも見えます。

その背景には、戦後の経済・社会の変化もあります。会社勤めが一般化し、家業を継がなくても生活できるようになったこと、また人口増加により男性跡取りを得やすかったことなどが、世代間のつながりの希薄化に拍車をかけました。

結果として、夫婦同姓をめぐる議論でも「夫婦・親子・きょうだいの絆」ばかりが注目され、高齢の親世代との関係性はあまり語られなくなっています。

まとめ ― 「伝統」とは何か?
現在の戸籍は、いまだかつてないほど父系化した核家族単位の記録方式です。日本の伝統的な「家」の考え方とは全く異なる仕組みでありながら、保守派を中心に「伝統を守るため」として強く擁護されてきました。

しかし、その起源をたどれば、これは日本独自の伝統ではなく、戦後のGHQ主導による「アメリカ化」の産物なのです。
私たちは今一度、「家族」や「戸籍」のあり方を、歴史的背景を踏まえて考え直す必要があるのかもしれません。