江戸時代までは「寺請制度」と呼ばれる宗教統制が行われ、必ず寺院の檀家になることが求められたため、寺が今でいう役所のような役割を果たすようになっていました。その後、幕府が藩に対して宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)という台帳の作成を命じ、その宗門人別改帳が今でいう戸籍や租税台帳の役割を果たしていたのです。
明治以前の戸籍制度の歴史については関連記事に時系列で詳しくまとめています。
明治5年に編成された壬申戸籍、明治維新後、新政府は近代国家、中央集権、江戸時代までの戸籍制度と明治維新後の壬申戸籍。日本の戸籍制度は、明治時代に近代的な形が整いましたが、そのルーツは江戸時代にまでさかのぼります。ここでは、江戸時代の「宗門人別改帳」から明治の「壬申戸籍」へ変わっていました。
江戸時代の戸籍管理:「寺請制度」と宗門人別改帳
江戸時代には、現代のような役所による戸籍管理は存在しませんでした。
代わりに、寺請制度(てらうけせいど) と呼ばれる宗教統制が行われ、
すべての人々は必ずどこかの寺院の檀家になることが義務付けられていました。
寺院が役所のような役割を担い、住民の記録を管理
幕府は各藩に対して「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」の作成を命令。
宗門人別改帳は、現代の戸籍と租税台帳を兼ねた管理帳簿として使用、
この制度により、人口管理や治安維持が行われていましたが、あくまで宗教的な枠組みの中での管理に留まっていました。
明治維新後の国民管理の必要性
明治維新により新政府が成立すると、近代国家・中央集権体制を築くために、江戸時代まで藩単位で行われていた国民管理を、全国統一で行う必要が出てきました。
目的は以下の通りです:
租税制度の確立(税を公平に徴収するため)
徴兵制度の整備(近代軍隊を作るため)
人口統計の把握(国家運営の基盤となるデータ収集)
脱籍者や浮浪人を取り締まり、治安を安定させるため
このような背景から、全国規模での厳格な戸籍制度が不可欠となったのです。
明治4年「戸籍法」制定と壬申戸籍の編成
明治4(1871)年、新政府は初めて全国統一の戸籍法を制定しました。
そして明治5(1872)年、これに基づき作られたのが 明治5年式戸籍(壬申戸籍) です。
壬申戸籍の特徴:
日本で初めて全国規模で作成された戸籍
壬申の年(1872年)に編成されたことから「壬申戸籍」と呼ばれる
戸主を中心とした「家」を単位に記録
全国の人口を一元管理できるようになり、租税・徴兵・統計が可能になった
明治4年 戸籍法の要点
当時公布された戸籍法の主なポイントは以下の通りです:
全国統一の戸籍帳を作成すること
戸籍は戸主を筆頭とし、家族全員を記録する「家制度」を採用
出生・死亡・婚姻・養子縁組など、身分変動を記録
戸籍の編製を通じて、徴税と徴兵を効率化
役所による管理が導入され、寺院から国による直接管理へと移行
この壬申戸籍によって、日本の近代的な人口管理と戸籍制度の基礎が築かれました。
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