【壬申戸籍の屋敷番号とは?】明治初期の戸籍整理と番号の付け方を解説

壬申戸籍(明治5年式戸籍)を読み解く際にしばしば目にするのが、「〇〇番屋敷」といった記載です。
これは、当時の住所を表すために使われていた「屋敷番号(家舗番号)」と呼ばれるものです。

この記事では、屋敷番号とは何か、どうやって決められたのか、なぜ使われなくなったのかについて、わかりやすく解説していきます。

🏠 屋敷番号とは?
明治4年(1871年)に公布された戸籍法の中に、次のような記載があります:
「区内の順序を明らかにするは番号を用ゆべし。ゆえに毎区に官私の差別なく臣民一般番号を定め、その住所を記すに何番屋敷と記し、編製の順序もその番号を以て定まるを要す」

これは、戸籍作成のために住民一人ひとりに「屋敷番号」を割り当てなさい、という指示です。
この制度によって、町村ごとの区画(区)に「〇〇番屋敷」という住所番号が付けられるようになりました。

📌 屋敷番号と地所番号の違い
明治初期には、屋敷番号と地所番号の2つの番号が同時に使われていた時期があります。

屋敷番号:建物(屋敷)に付けられた番号
地所番号:壬申地券の発行にともなって、土地そのものに付けられた番号

そのため、1つの土地に2つの異なる番号が併存する状態となり、混乱を招くこともありました。

🧾 屋敷番号の振り方は?実際の指導例から見る運用ルール
屋敷番号の付け方については、地域ごとに異なる運用がされていたと考えられていますが、現存する史料は少なく、研究もまだ発展途上です。

その中で、東京都板橋区の教育委員会に保管されている浦和県庁の御触書には、屋敷番号の具体的な振り方が示されています。

【御触書の要点】:
村ごとに県庁が「一番屋敷」を指定し、そこから順に番号を付ける

番号を示す杭を地面に立てる(宿場町などでは札を柱に貼る)

1人が1か所だけ所有している屋敷地には1つの番号を付ける

田畑には番号は不要

寺社については境内全体に対して1つの番号を付ける

番号が決まらないと、出稼ぎや旅行、奉公に行く際に必要な「鑑札(かんさつ)」が発行できず不便になる、という背景もあったようです。

🗺 起点とルートの決め方
屋敷番号のスタート地点(起点)も地域ごとに様々でした。以下のようなパターンが確認されています。

県庁側を起点にしたもの
神社や村役場(戸長役場)を起点としたもの
江戸時代の絵図の慣習に従い、東側を起点にしたもの

番号は、道路や川沿いを一筆書きのように順番に振られるのが基本で、時には起点と終点がほぼ同じ場所になるようにルートが設計されていたようです。

🏁 屋敷番号の終焉とその後
明治31年(1898年)の戸籍法の改正により、この屋敷番号制度は廃止され、本籍地の表示は「地所番号」で統一されることとなりました。

📝 まとめ
・屋敷番号は、壬申戸籍時代に住所を示すために使われた番号制度
・地所番号との併用で混乱もあったが、地域ごとに工夫され運用されていた
・板橋区の史料などから、実際の番号付けのルールが一部確認されている
・明治31年に地所番号へと一本化され、屋敷番号は廃止された