壬申戸籍(明治5年式戸籍)は、近代日本で初めて全国民を対象に作られた戸籍制度として知られています。
この戸籍制度が作られた背景には、徴兵制度の準備という重要な目的がありました。
この記事では、壬申戸籍と徴兵令の関係について、当時の社会背景とともにわかりやすく解説します。
🎌 壬申戸籍は徴兵制度の“前提”だった?
明治6年(1873年)、明治政府は徴兵令を公布し、全国規模で近代的な軍隊の創設に踏み出しました。
この徴兵令に先立つこと2年前、明治4年に戸籍法が制定され、明治5年には「壬申戸籍」の編製が始まります。
このタイミングを見ると明らかですが、戸籍制度は徴兵制実施のための下準備として機能したと言えるでしょう。
📋 壬申戸籍の役割:徴兵の基礎台帳
壬申戸籍には、全国民の居住地・年齢・家族構成が詳細に記録されており、これがそのまま徴兵台帳として活用されました。
徴兵令によって、満20歳の男子は本籍地で徴兵検査を受けることが義務化されました。
🛡 免役対象となった者とは?
ただし、すべての男性が兵役対象とされたわけではありません。
以下のような人は「免役」とされ、徴兵を免れました:
・一家の主人(戸主)
・跡継ぎ(嗣子)や祖父の家を継ぐ孫
(ただし、養子縁組が内定しているだけで、実家にいる者は除外)
🔄 免役制度を利用した“兵役逃れ”
この免役規定が広まると、多くの家族が息子を兵役から逃れさせようと工夫を始めます。
・分家の届出を出す
・養子縁組をする
・戸籍上だけ他家の戸主にする
こうした行為により、実際は実家で暮らしているのに、戸籍上は別世帯の戸主とされる若者が急増したのです。
⚔️ 西南戦争と兵役規制の強化
明治10年(1877年)に西南戦争が勃発すると、兵力確保が急務に。
政府は兵役逃れを防ぐため、次のような要件を満たす者にしか分家を許可しない方針を打ち出します:
・財産があり、独立して生活できる
・実際に別居している
・一定年齢に達している
しかしこれでも兵役逃れは止まらず、明治11年(1878年)にはさらに踏み込んだ規制が敷かれました。
⛔ 青年の分家を全面禁止へ
・出生から数え年23歳(除隊年齢)までの男性の分家は禁止
・「戸主であっても徴兵対象とする」との通達
・養子縁組による“兵隊養子”も取り締まり対象に
このように、徴兵令に対する国民の“抜け道”を塞ぐため、制度の見直しと規制が次々と強化されていったのです。
🏔 北海道は例外だった?
北海道では、開拓を優先したため、全国に先んじて徴兵検査の対象外とされていました。
全道での徴兵検査が始まったのは、**明治31年(1898年)**になってからのことです。
文豪・夏目漱石も徴兵を逃れるために、一度も行ったことのない北海道・岩内町に本籍を移したという記録が残っています。
📝 まとめ
・壬申戸籍は、徴兵制度の実施に備えて作られた兵役台帳の基礎だった
・戸主・跡継ぎなどは免役対象とされ、多くの家庭が制度を“利用”した
・西南戦争以降は、兵力確保のために分家・養子縁組の規制が強化された
・北海道は開拓優先のため、徴兵検査が遅れて実施された
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