壬申戸籍と徴兵令──「家」を守るために家を作った?!

明治6年(1873年)、明治政府は日本に徴兵制度を導入するため、「徴兵令」を公布しました。
実はその準備として、明治4年に戸籍法が制定され、翌年から壬申戸籍(明治5年戸籍)の作成が全国で始まっていたのです。
今回はその歴史を追ってみたいと思います。

壬申戸籍は、国民一人ひとりの居住地や家族構成を明らかにするためのものでしたが、実際には徴兵のための「基本台帳」として活用されました。
男子は満20歳になると、本籍地で徴兵検査を受ける義務がありました。
ただし、すべての男子が徴兵されるわけではありません。以下のような条件に該当する者は「免役」とされました。

 ・一家の戸主(家を守る責任者)
 ・嗣子(家の跡継ぎ)や祖父の家督を継ぐ孫(承祖の孫)
  ※ただし、まだ実家にいる養子は対象外

この「免役」のルールが広まると、多くの家庭では兵役を逃れるために戸籍を工夫するようになります。
たとえば、実際には実家で生活しているのに、戸籍上だけ分家して別世帯の戸主とするなどの手段が横行しました。

明治10年に西南戦争が起きると、兵役逃れの動きはますます激しくなり、政府は次のような規制をつくりました。

 ・独立して生活できる経済力がある
 ・実際に別居している
 ・一定の年齢に達している

それでも不正分家は収まらず、明治11年にはさらに厳しい対策が取られました。
なんと、数え23歳以下の者については「分家そのものを禁止」にしたのです。
さらに、見せかけの養子縁組(いわゆる「兵隊養子」)による兵役回避も厳しく取り締まりました。

●北海道では徴兵が遅れた?
ちなみに北海道では開拓優先の方針により、明治31年(1898年)になってようやく全道で徴兵検査が実施されるようになりました。
有名な作家・夏目漱石も、徴兵逃れのために生涯一度も訪れたことのない北海道・岩内町へ本籍地を移していたという説があります。