自分を律していたのは、恩が紡がれる事を潜在的に知っていたから

先日、祖父の仕事関係ゴルフ仲間から、協業して提案するお仕事の機会を頂いた。
うちで作り商品販売している、「和綴じを使ったましかく帖」「大福帳を使ったかべかけ帖」を利用したオリジナルアイテム制作のお仕事だ。

その方とは祖父を通じて何回かご挨拶とお会いしてからの打ち合わせを2回くらいする程度の接触頻度だった。
なので、何でうちの商品を提案してくださっているのかが不思議だった。

打ち合わせ当日にその理由が分かった。
話の流れで祖父の話になった際、その方が一言、

「昔、私が駆け出しの頃。祖父の一声で纏まった数の記念品を注文してくださった。
あのときの出来事は(10年以上前)今も忘れない。」

と話されていたのだ。
私の全身に衝撃が走った瞬間だった。

祖父 → その方 → 私 と恩が紡がれたんだ。
年月をかけてかえってくる、恩もあるんだ。
そして、私自身が自分を律し、「人助け」な行動をとるのが多いのは、「恩」を流通させ関わる人たちの生活を豊かにしたいからだ。
そう気づいた。

何でその行動をとるかは、自分の子供の頃からの原体験があったからだ。
きっと、多くの人が潜在的にとっている行動は、自分の原体験によって左右されると感じた。
あらためて、「体験」の良さを知った瞬間であった。

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キム
キム
5代目製本業経営者。体を動かす事が趣味でジムに週5回通ってます。
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