日本の歴史人口を考える上で、奈良時代から平安時代初期は重要な時期です。
律令制のもとで戸籍や計帳が整備され、ある程度体系的な人口把握が行われ始めました。
しかし記録は不完全であり、研究者によって推定人口には差があります。
人口研究の第一歩は、**郷数(ごうすう)**と呼ばれる行政単位の数に基づいた計算です。
鬼頭宏氏は、鎌田元一氏の研究をもとに「1郷あたりの良民人口を1052人」とし、『和名類聚抄』に記載された4041郷を掛け合わせ、良民人口を約425万人と推定。
これに賤民人口約18万人と平城京の都市人口約7万人を加えて、725年頃の日本人口を約451万人と算出しました。
一方、澤田吾一氏は郷数をやや少なめに見積もり、さらに平城京人口を20万人と仮定することで、577万人という推定値を出しています。
さらに詳しい計算方法として、出挙稲(しゅっことう、律令制下の貸付稲)の数と課丁(成年男子の課役対象者)の比率を用いた推定があります。
澤田吾一氏は『弘仁式』『延喜式』の記録をもとに課丁数を推定し、最終的に約560万人の良民人口を算出。
これに賤民や把握漏れ人口を加えると、総人口は600万~700万人にのぼったと考えました。
茨城県石岡市の鹿の子C遺跡から出土した漆紙文書(延暦4年・795年)には、常陸国の官戸人口が記されており、これに神封戸を加えると約22万~24万人と推定されています。
これをもとに鎌田元一氏は「澤田氏の推定人口は奈良時代ではなく平安初期にあてはまる」と指摘しました。
鬼頭宏氏もこれを採用し、800年頃の日本人口を550万~600万人前後とみなしています。
奈良時代から平安時代初期にかけて、日本の人口は450万人から600万人超へと増加したと推定されています。
都市人口も平城京で10万~20万人、平安京でも10万人以上と見積もられ、律令制下の都の規模感がうかがえます。
こうした推定は、行政文書や遺跡出土資料を基にしたもので、現代の人口統計のように精密ではありません。
しかし、当時の社会や国家のあり方を理解するうえで非常に重要な手がかりとなっています。
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