平安時代は律令制の基盤が揺らぎながらも、日本の人口が大きく変動した時期です。
この時代の人口推定は、『和名類聚抄』や『拾芥抄』といった地誌・行政文書に記載された田積(耕地面積)を基に計算されています。
ここでは鬼頭宏氏やファリス(Farris)氏の研究をもとに、平安時代中期の人口動向を見ていきます。
900年頃の人口(鬼頭宏の推定)
参考資料:『和名類聚抄』に記された田積数(全国で約87万1916町)。
計算方法:
1人あたりの配給面積を 1.6反(0.16町) と設定。
6歳未満人口は6歳以上人口の 16% と仮定。
平安京の人口を 12万人 と見積もり。
結果:900年の推定人口は約540万人前後と算出されました。
950年頃の人口(ファリスの推定)
ファリスは鬼頭宏の方法を修正して10世紀中頃の人口を計算しました。
基準:『和名類聚抄』の田積数を10世紀のものとみなす。
計算方法:
1人あたりの配給面積を 2.17反 とし、6歳未満人口は6歳以上人口の16%。
都市人口は 15万人(平安京10万人) と想定。
結果:約480万人。
さらに、実際の耕地は記録値の 75%程度 にとどまり、残りは他の農業・狩猟で養われていたと仮定すると、560万人が上限推定人口とされました。
1150年頃の人口(鬼頭宏の推定)
参考資料:『拾芥抄』に記載された田積数(92万6466町2段)。
計算方法は900年と同様に、1人あたりの配給面積を 1.6反、6歳未満人口は16%。
平安京の人口を12万人と仮定。
結果:1150年の推定人口はおよそ570万人前後とされています。
1150年頃の人口(ファリスの推定)
ファリスはさらに修正を加えて計算しました。
『拾芥抄』に載っていない田畑を含め、全国田積数を 95万6558町 と推定。
1人あたりの配給面積を 1.975反 と設定し、6歳未満人口は16%、都市人口は 20万人(平安京10万人) とした。
結果:550万~610万人。
また、耕作地の実際は記録の75%程度と仮定し、農業や狩猟による補填を加味すると、590万~630万人が上限推定人口とされました。
まとめ
900年頃:約540万人(鬼頭宏)
950年頃:480万人~560万人(ファリス)
1150年頃:570万人(鬼頭宏)、550万~630万人(ファリス)
このように、平安時代中期の日本人口は 500万~600万人前後 で推移していたと考えられます。
文献記録と耕地面積の推計によって人口を算出する方法は誤差を含みますが、当時の社会の規模や生活基盤を知る大きな手がかりとなります。
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